重量感あふれる堂々の切石を積みまわした屋敷囲い。天をつくアコウ・ユウナ・ガジュマル・フクギなどの大木古木。
石造りのジョウ(門)を入ると、これまたまるで一枚岩を思わせるようなズシリとしたヒンプンが立ちはだかる。
ヒンプンの右側をすすむと、正面に一番座・二番座・三番座が主屋を成し、棟つづきに板の間・台所となる。屋根は赤瓦で葺かれている。
これが旧家に見るヒンプンのある風景である。
赤瓦の屋根は、沖縄の民家を象徴するモチーフとしてさまざまに取りあげられるが、地方で瓦葺きが解禁になったのは明治の中期(一八八九年)になってからであり、たかだか百余年の歴史を刻んだにすぎない。それから考えても、ヒンプンのある民家のたたずまいこそが、沖縄の原風景だといえるのかも知れない。
「沖縄県地方のヒンプンは福建省地方の屏風(福州音で「ピンフン」)の伝承したものと考える」(『中国文化と南島』窪徳忠)というのが、沖縄のヒンプンを考えるうえでの基本となるものだろう。
福建地方の屏風は、「殺気よけ」のために設置されるのだという。
そうであれば当然のこと、沖縄のヒンプンも「ヤナカジ・シタナカジ」の侵入を防ぐ、あるいは「門から入ってきた悪霊が家の内部に侵入しないように」という魔よけを目的として設置されたと考えるべきであろう。
「目かくし」あるいは「人の出入りを分けるため」などという俗信が、独り歩きしていることもあってか、ヒンプン本来の意義が忘れ去られているようだ。ヒンプンは、沖縄人が言うところの「ムンヌキムン」の一つであることは論をまたない。
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