慈悲深い家の守り神として信仰されてきたヒヌカンが、十二月二十四日(旧暦)には天に昇り、善悪を問わず家族の行いを天の神様に報告すると信じられている。
ヒヌカンにこのような恐い一面があるとされるようになったのは、中国のかまど神信仰の影響によるものだといわれている。
中国と沖縄の関係が、交易ばかりではなく人々の交流も盛んになっていく1300年代後半から、進貢使とともに多くの留学生が派遣される。その一方では、中国より沖縄に渡ってきて住みつく人々も増えてくる。
彼らによってもたらされた中国文化は、日々の暮らしの中に深く浸透し、沖縄人の信仰生活にも大きな影響を与えるようになる。
中国のかまどの神は、九世紀ごろから、家族のとりわけ主婦の言動を報告するといわれ出し、それまで毎月の晦日(みそか)に天に昇るとされていたのが、年に一回、十二月二十三日か二十四日に上天するといわれるようになった(『沖縄の習俗と信仰』・窪徳忠)という。
このような中国のかまどの神に対する考え方が沖縄に持ち込まれ、ヒヌカン信仰に取り入れられた。これが「ヒヌカンの上天」であり、天のもとに帰るヒヌカンを送り出す御願が「ヒヌカンの上天の拝み」である。
この日の御願では「すす払い」を先に行う地域が多い。すすの中に悪事が入っており、それを天の神様に報告されないためだとされている。
また、別の地域では「台所をきれいにする」・「ウコールを塩できよめたり、砂を取りかえたり」するところもある。
いずれにしても、上天するヒヌカンが天の神さまに悪い事を告げないように、という心配りである。
この日の拝み方、供物の供え方、線香の本数から回数に至るまで、地域によって大きく異なる。ここでも、沖縄特有の拝みの〝自由さ〟がよくあらわれている。
また、同じ日に、過去一年間の願い事をしたすべての神に感謝し、その願を解く「ウグヮンブトゥチ」(御願解き)を行う地域も多い。
いかなる理由から、一年間の願を解く日が年末ではなく、ヒヌカンが上天する十二月二十四日なのかははっきりしないが、興味の尽きない課題である。
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