チィタチ・ジュウグニチ(旧暦の一日・十五日)になるとオバアたちは、ヒヌカンとトートーメーの御願を欠かさない。先に述べたように、習慣化された御願は、オバアたちの体にしみ込み、生活のリズムとなっているのである。
それでは、一日・十五日の御願とは、いったいどのような拝み、祈りなのだろうか。
この日はまず、ヒヌカンとトートーメーに「ウチャトゥ」(お茶湯)をたてることから始まる。新しい水を入れ、酒を注ぎ足し、固まった塩や枯れた小枝を新しいのと取りかえる。
それから、特別に「ウブク三つ」をお供えする。
ウブクとは、小さな碗に飯を盛ったもので、もともとは仏を供養するための飯食物のことである。赤ウブク(赤飯)と白ウブク(白飯)があり、古くはほとんどの地域で赤ウブクを供えていたが、近年は白ウブクが圧倒的に多くなった。
供物を供えると、線香をともして両手をすり合わせるようにして拝み、祈る。
多くの場合、「家庭の円満」・「家族の健康」を祈るが、報告すべきことがあればそれを告げ、チムガカイすることがあればそれをうちあけ、助けを求める。
どのような言葉で、どのように祈るかは決まった言葉やかたちはない。オバアそれぞれが独自にあみ出した流儀で、自由に拝み、祈るのである。
このように、形式にとらわれることなく、その時その時の悩み事や心配事、心の裡にわき出る思いを訴えていく。それこそが、沖縄のオバアたちの祈りの世界そのものである。
拝みや祈りを通してオバアは、自分自身を解放し、心の裡をいやしていく。それと同時に、祖先と子孫をつなぎ、家族を守るという意識をいよいよ強固なものとしていくのである。
一日・十五日の御願は、オバアたちの祈りの世界、おおげさにいえば精神文化の奥の深さを象徴するものである。
外来宗教を頑なに受け入れなかった沖縄のオバアたちの世界観、人生観が凝縮されているとも言えよう。
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