かっての「ウマチー」といえば、麦と稲にかかわる四つの祭りをさしていた。
二月の「麦穂祭」と三月の「麦の収穫祭」、そして五月の「稲穂祭」と六月の「稲の収穫祭」(いずれも旧暦)である。
四つの祭りのうちとりわけ、「グングヮッチウマチー」ともよばれる「稲穂祭」は重んじられた行事で、首里城内はもとより各間切のノロの支配下にあった村落でも盛大におこなわれていたようだ。
古くは、王府により祭りの日が決められていたが、明治以降、五月十五日に定日化したとされている。 麦作がほとんど見られなくなってしまった以後は、二・三月の麦にかかわる祭りはすっかりすたれ、ウマチーといえば「グングヮッチウマチー」のみをおこなう地域がふえた。
グングヮッチウマチーは、稲の初穂を神仏におそなえし、実入りが多く豊作になりますように乞い願う行事であり、「稲穂祭」・「シキョマ」・「シチュマ」などとよばれている。なお、「シキョマ」とは〝初穂〟を意味する。
それからもわかるように、ひろくは稲の豊作を祈願する行事だが、粟の穫れる地域(粟国島など)では粟の豊作を祈願する「粟穂祭」(粟シチュマ)とよばれている。
稲の初穂三本(地域によっては七本)をヒヌカン、トートーメーあるいは集落の拝所におそなえし、豊作を祈願するという儀式はほぼ共通している。
各地に「ターブックァ」と称される水田地帯の名残をとどめる地名が今も残されているように、戦後間もないころまで沖縄にも美田が数多く見られた。黄金色の穂が畦を枕にする風景はことさら珍しいものでもなかった。
豊穣を願う人びとの、グングヮッチウマチーに寄せる思いも切実なものであったにちがいない。
しかしながら現在、沖縄の農村地帯、とりわけ本島で稲穂が風に揺れる風景に出合うことは難しくなった。祭りのために稲の初穂を手に入れることすらできない、と嘆くお年寄りが多いのである。
いつの日にか「グングヮッチウマチー」も消える運命にあるのだろうか。
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