沖縄さんぽ

よみもの

地元紙(琉球新報・週刊タイムス住宅新聞)に連載していたものを掲載しています。

沖縄祈りの世界

2.ヒヌカン信仰の始まり

カマド 豊かな恵みをもたらす太陽に、神の存在(太陽神)を認めた私たちの祖先はやがて、目の前で赤々と燃えさかる火にも、太陽と同じようにえも言われぬ神秘の力、神の霊が宿るのを感じた。そして、火に宿る神を「火神」(ヒヌカン)として深い信仰を寄せていった。
それは、ごくごく自然の成り行きであったといえる。

神の宿る火が常に燃やされ、日々の食べ物を煮炊きするカマドもまた、神のいます神聖な場所として、人々の祈りの対象となっていった。

よく知られているように、沖縄の古式のカマドは、自然の石を∴形に並べたものであった。このように、カマドそのものに神の霊が宿るとする考え方は、ウグヮンの際に手前に置いた二個の石の間に、カマドよりかき出した灰を盛り、その上に線香を立てる、という伝統的な拝み方からも知ることができる。
また、∴形に並べた自然石やカマドそのものを「ヒヌカン」と呼ぶ(南城市佐敷)ことや、ヒヌカンのことを「ウカマ」と称する(全島的)ことからも、十分に理解できることである。  
カマドの中で火が赤々と燃えるさまは、古代沖縄人にとって、霊地とされる東方の島々(久高や津堅島など)の間から昇りくる太陽をイメージさせるものであったにちがいない。

火やカマドを神聖なものとし、神が宿ると考えたのは、何も古代沖縄人だけではなかった。ギリシアやローマの人びとも火は、それが常に燃やされるカマドとともに、家や家族を守護する神として厚い信仰を寄せた。古くから沖縄と深いつながりのあった中国でも、火やカマドは人びとの信仰の対象となっていた。

私たちの祖先も、他の国々の人びとと同じように、太陽を神格化し、すべての生命の源だと信じて信仰の対象とした。そして、地上の火に太陽神の化身をみて、心より崇拝してきたのである。

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