先号では、ユタの「功」についていくつかの事例を挙げてみた。プライバシーの問題等もあり、詳細を記述することはできなかった。しかし、ユタの感性的能力や巧みな話術、あるいは託宣における一種の詩的能力によって、ユタの元を訪れる人びとが心の平安を得ていることが理解できたと思う。
ユタにみてもらうことを、沖縄では「ユタ買い」あるいは「ユタ道楽」などと称する。
「ユタ買い」は両者(ユタとみてもらう人)の間に金銭が媒介するわけだから、ユタにみてもらう行為を「ユタ買い」と称するのである。しかし、この場合の「買い」は、品物を買う場合とは本質的に違うことは十分に理解できる。買う“モノ”は「夢」であり、「心の安寧」であり、「不安の解消」である。その代価として金銭の媒介があることになる。このような意味で、今日の沖縄社会の中では、依然としてユタは個人的あるいは家族的カウンセラーの役目を果たしているといえよう。
「ユタ道楽」というのは、何かあればすぐユタのところに出かけることをさす。こういう人は、ひとりのユタから気に入らない返答をもらうと、自分で納得するまで方々のユタのところをまわる。裏をかえせば、ユタにみてもらう前に、すでに自分で答えを用意していることになる。託宣によって不安を解消したい欲求を抑えきれないのである。それによってしか安寧が得られないのである。このように、やや病的とも思える人でも自分の得心のいく託宣に出会うと、それまでの不安が一瞬のうちにかき消されてしまうというから不思議である。
このような事例は「功・罪」のうち、いずれに該当するのか、にわかには判断が下せないが、ユタ買い道楽の心の平安が得られるとなれば「功」と考えた方がより現実的だと思われる。