神ダーリの状態から抜け出すのはケースバイケースで、人によって違うのだという。ある者は、仏壇に向かって現在の自分の心境を克明に打ち明ける(クチビラチという)ことにおいて、その状態から抜け出たという。
神ダーリが“治った”と表現する研究者もいるようだが、神ダーリを病気だという捉え方をすれば、治癒するという見方も正当性を持つだろう。だが、果たして、神ダーリの状態を病気という概念で捉えて良いか否かという判断は難しいところである。そこで、本稿では、神ダーリを“脱する”という表現をあえて使用することにした。
神ダーリを脱した者は、祖先にまつわる祭り事に関し、実に細やかな心配りをするようになる。これまで、年々歳々行われる祭り事には、比較的無関心であった者が、人
が変わったように、月々に行われる祖先祭祀(沖縄では実に多い)に心を配り、忙しさにかまけて失念するようなことは決してなくなるという。そのことが、近隣の人びとに注目されるようになり、「ユーウサギヤー」(祖先に対する供物を几帳面に捧げる人、いわゆる祭祀を欠かさず行う人の意)という評判を呼ぶことになる。近隣の人びとは、祖先祭祀にまつわるあれやこれやの子細について、彼の元を訪れ、教授を乞うようになる。彼の意識が奈辺によるかを問わず、ユタとしての第一歩を踏み出したことにもなるのである。