
●このような時代を背景として登場してきた各按司は、グスクとよばれる強固な城塞を築き、相互に対立を深めていく激動の時代へとすすんでいきます。しかし、この「グスク」とよばれているものには、首里グスクや今帰仁グスクのように高い石垣をめぐらしたまさに「城塞」といえるものがある一方、防御施設がないものや、深い森の中の風葬地帯、あるいは拝所なども含まれているのです。つまり本土で一般的に言う「城」とは少し異なった意味を持っていることになります。
グスクの定義には●沖縄における原始社会の終末期から古代社会に移り変わっていく時期の防御された、または自衛意識をもって形成された集落の跡である●ムラの聖地、聖域に支配者が居住し、それが城郭的な形態となっていった●グスクは按司の居住地であり、沖縄階級社会が生み出したものである、というようなさまざまな解釈があります。ちなみに、むぎ社の「沖縄のグスクめぐり」では主に按司の居住地跡としてのグスクを取りあげ、そのグスクにまつわる伝承と共に解説しています。
世界遺産などに登録され、一躍脚光を浴びることになった沖縄のグスクですが、戦災や開発によって失われた部分も多く、まだまだ解明されてない点が多いのが現状です。
●12世紀の前後、沖縄では牛の飼育を加えた農耕技術が飛躍的に発達し、本格的な農耕による生産社会がはじまったとみられています。
村落発生のはじめは、階級の差や貧富の差がゆるやかな社会であったと考えられています。稲作による農耕が定着し、農耕生産が本格化するにつれて、村落の人口増加をもたらし、
その社会を維持するために、新たな耕地を獲得する必要にせまられます。こうして必然的に隣接する血縁集団が、互いに協力し合って共同作業するようになり、交流を深め、結びつきを強めていきます。このような協力関係によって大きな集団、いわゆる地縁集団を形成していきます。この地縁集団がムラ(あるいはクニ)とよばれる村落です。
ムラの指導者は、豊かな耕地を手に入れ、農耕生産による富を蓄えた有力者の中から選ばれることになります。ムラの中ではじょじょに貧しい者と富める者の差がひろがり、支配する者と支配される者という階級ができあがるようになっていきます。
こうした社会の出現はムラ同士の対立・抗争を生み、その結果として有力な地域の首長がほかの地域を統合して配下におさめ、より大きな地域の指導者となっていきます。こうして誕生した指導者のことを「按司」(あじ)といいます。